牧野富太郎を救った新聞記事
NHKの朝ドラ「らんまん」でにわかに盛り上がっている(?)牧野富太郎は、54歳で極貧の時、自らの植物標本を海外に売り飛ばそうとしていた。
フィクションのための会話哲学
三木那由他 氏が「会話を哲学する」という本を上程されている。フィクションにおける会話をテキストに、スマートに会話を哲学的に解釈に解釈されている。
読み進めるうちに「これは逆にすぐれたフィクションに使われている会話を分析されている」と受け止めることもできるのではないか、と考え、各章における論考をフィクションに使われる技法という視点で、まとめてみた。
Web 3.0に関するちょっとした議論
web2.0以前の世代からすると、web3.0はどうしてもお金先行の胡散臭い感じをするのは否めません。
web2.0側からweb3.0を見るとこういう風に見えていることを、いくつか記述します。
Web3(3.0)キーワード
Web3(3.0)に関するキーワードはいくつもありますが、重要であろうと思われる項目をいくつか拾ってみました。
Web3.0とは何であったのか
Web3.0が初期の段階でどのように説明されていたのかをその言葉の初出とされる、Gavin Woodが自身のブログ「Insights Into a Modern World」に投稿した記事「Dapps: What Web 3.0 Looks Like[i]」(2014年4月17日)をサマリーした。
また、web2.0からweb3への移行の価値を、2021年10月7日に投稿されたChris Dixon の「Why Web3 Matters」をテキストに拾った。
Gavinは「Ethereum/イーサリウム」の共同設立者の一人[ii]。Chris DixonはWeb3を牽引する「世界トップの投資家」と呼ばれている。[iii]
日本の広告費 2006年と2020年の比較 メディア生態系
コミュニケーションホイールガイドブック(Communication Wheel Japan) その2.
Communication Wheel Japan
その2.コミュニケーションホイールの原典
コミュニケーションホイールの原典となるアイデアは、1984年イギリスの広告クリエーターであるデイビッドバーンスタインの著書「COMPANY IMAGE & REALITY」に見つかります。
シャノン・ウィーバーモデルの拡張
シャノン・ウィーバーのコミュニケーションモデルは、伝達機構(媒体)であるchannelに対するノイズのみを扱っているが、伝達機構が本来持ちえる4つの概念を加える。
日本の広告費2018年(2008年との比較つき)
電通発表の「2018年日本の広告費」では、今年はインターネット広告費のなかに「マスコミ四媒体由来のデジタル広告費」という項目が追加されました。
この項目の定義は新聞社を例に取ると「新聞社が主体となって提供するインターネットメディア・サービスにおける広告費 ※新聞広告費には含まれない」とあり、以下雑誌、ラジオ、テレビとも同じ定義です。
2019年元旦の新聞広告の傾向を読み取る。
元旦付けの新聞広告を眺めると、広告業界の大きな動きが見えてくる。
本年、2019年元旦の中央各紙のサイズ1ページ以上の広告を眺めて、感じたことを述べます。
構造主義の理解のための理論と哲学キーワード
このページは、構造主義に関する文献を読むときに良く出てくる言葉を簡単に説明したものです。ほかにもいろいろとあると思いますが、構造主義を知ったかぶるためのこちらの文章を記述するときに拾った言葉ですので、合わせてお読みいただけると幸いです。
構造主義の背景となる理論とか哲学とか・・・このページ
前構造主義(マルクス/ニーチェ)2.構造主義の四銃士(フーコー/バルト/ラカン/ストロース)・・・こちらのページへ
構造主義・知ったかぶり
この文章は、二十世紀の100年間に渡って人類の世界観の基礎となった「構造主義」を概覧することで「ポスト構造主義」を理解したり、インターネットとグローバル化された時代を渡っていくためにやがて現れて、人類共通のものになるであろう「次の世界観」を受け止めていくための準備として自分自身のためにまとめたものであります。
「いや実は構造主義って言葉、良くわからないまま使っているんですよねぇ、えへへ」と感じている、そこの貴方にも参考になれば幸甚であります。
なお、構造主義を語るときに使われる言葉をいくつかまとめて別のページにおきましたので、そちらのほうも参考にしていただければ幸いです。
1.前構造主義(マルクス/ニーチェ)2.構造主義の四銃士(フーコー/バルト/ラカン/ストロース)・・・以上このページ
3.構造主義の背景となる理論とか哲学とか・・・こちらのページ
参考文献
内田樹「寝ながら学べる構造主義」文春新書,文藝春秋,2002/6/20
橋爪大三郎「はじめての構造主義」講談社現代新書,講談社,1988,5,18
内田樹による構造主義終焉の様相
いずれ構造主義特有の用語(システム、差異、記号、効果...)を使って話すことに「みんなが飽きる」ときがやってきます。それが「構造主義が支配的なイデオロギーだった時代」の終わるときです。
メディア不信の時代。媒体接触の変化とジャーナリストの行く末
フィルターバブルに関する補足的考察:スキーマと確証バイアス
フィルターバブル──インターネットが隠していること(ハヤカワ文庫NF)文庫-2016/3/9
イーライ・パリサー(著),井口耕二(翻訳)
早川書房の通販サイトはこちら
この本の中からフィルターバブルに関し考察しつつ抜き出した。ページ表記はこの本のページを示す。
(118ページから、)
人間は
- ●予想通りに不合理である。
- ●どうすれば幸せになれるのかを理解するのが絶望的に下手である。
- ●皆、簡単に騙され操らで誤った方向に誘導されてしまう。
誤りや失敗に繋がる認知の過程はまた、変化していく世界に対処しそこで生きていくために必要な能力や知性を生む源でもある。どうしても失敗に注目しがちで気づかないが、ほとんどの場合、吾々の脳は驚くほどうまく働いているのだ。その背景には認知の均衡を取ろうとする機能がある。自覚はないが我々の脳は過去からも学びすぎず現在から新しい情報を取り入れすぎるという微妙な綱渡りをしている。
パーソナライズドフィルターは既存アイデアの強化と新規アイデアの習得という認知的均衡を二つの側面から狂わせてしまう。一つはフィルターバブルにおいて我々は知っている(かつ賛同している)アイディアに囲まれてしまい、すでに持つ観念的な枠組みに対する自信が過剰になってしまう。もう一つは学びたいと思うきっかけとなるものが環境から取り除かれてしまう。
スキーマによる認識
人の場合まずデータを大幅に圧縮する。目から入る映像も耳から入る音声もその要点だけをとらえた概念へと圧縮する、これをスキーマと呼ぶ。
補足:例えば、タイヤが4つ付いていて、人が出入りする扉があり、中にはハンドルや座席があり、一部ガラス張りで中が見える鉄の塊というと、多くの人は「自動車かな」ということが頭に浮かび、少なくとも電車や馬車とは違うものだろうということが分かる。
こうしたことを理解できるのは、車スキーマとでも呼ぶべき、車について一般化された知識を持っているからである。[1]
厳格には行為のスキーマであるシェム、モノのスキーマであるシェマ、に分けられる。[2](「ピアジェに学ぶ認知発達の科学」玉川未読)
スキーマはその下に別のスキーマを含む階層構造を持つ。自動車スキーマを例にとると、その中にセダンスキーマとか、クーペスキーマ、といったスキーマを含む。
確証バイアス
スキーマは現実に起きていることの直接的観測を妨げる場合もある。我々はスキーマを取得するとそれを強化しがちである。つまり見たいと思うことを見るようになるのだこれを心理学では確証バイアスと呼ぶ。
補足:例えば「今の若いやつらは××である」というスキーマを強化するために、それを補強する情報だけを集めてきて「な、だから××なんだよ」と補強する。
スキーマと確証バイアス
スキーマは我々の頭の中で孤立して存在しない。我々の頭の中でアイデアはネットワーク上にまたピラミッド型につながっている。つながりあった系全体が崩れることも考えられる。スキーマが蝕まれないように支える保守的な精神力が確証バイアスなのだ。しかし、子供が様々な経験をしながら成長するように、我々は世界に合わせてスキーマを調整しスキーマに合わせて世界を調整しながら成長が進む。補足:いつまでも自動車には4つタイヤがついているとは限らないし、若者のすべてが無分別なのではないのだ。
フィルタリングについて
補足:先に記述したように、確証バイアスを補強するためには、情報の選択(都合のよいように)の努力が必要である。
しかしフィルターバブルには三種類の問題がある。(23ページ)
一つには、一人ずつ孤立しているという問題。
ケーブルテレビの専門チャンネルでゴルフなどごく狭い範囲を取り扱うものを見る場合でも自分と同じ価値観や考え方を持つ人が他にも見ていると言う認識がある。それに対してバブルには自分しかいない。バブルは我々を引き裂く遠心力となる。
二つには、バブルは見えないという問題。
革新系ニュースの場合ほとんどの人は政治的に偏向しているとわかった上で見ている。対してGoogleは微妙だ。私がどういう人だと思っているか教えてくれないし、Googleが提示する結果がどうしてそうなっているのかも教えてくれない。バブルの内側から見ているだけでは、私に届く情報がどれほど偏向しているのかまずわからないという現実がある。補足:そもそも個別の記事が個々にネット上を流れるという現代的情報環境で、それがどのメディアブランドで生成されたのか確認しにくい。下記参照
三つには、そこにいることを我々が選んだわけではないという問題。
テレビ・ニュースを見る、新聞・雑誌を読む、などの場合、それぞれのメディアブランドを通じて、どういうフィルターを通して世界を見るのか我々は自ら選んでいる。動的な行為なのだ。パーソナライズされたフィルターの場合自ら選択することがない。しかもフィルターはウェブサイトに利益をもたらすために使われているという理由で、今後は避けたくても避けにくくなる一方だろう。補足:記事のターゲティング・フィルターと広告のターゲティング・フィルターは、元来別のものだが、フィルターされた好みの記事ページは滞在時間は長くなり、それだけ広告接触される可能性は高まると期待されている。
補足的考察
Googleにも言い分はある。Googleではアカウント情報というセクションで私の行動履歴や関心に関して調整できるようになっている。しかし、膨大なページにわたってそれらを管理するという、インターネット時代の新しいリテラシーを手に入れるためには、相当な努力が必要であるということが2・3ページの情報を見るだけでわかる。そんなことは学校でも当分教えてくれないだろう。
Facebookにおいてもアクティビティログという自らの行動に関する情報を確認するページがある。しかし、ソーシャルグラフ(友達の関係性)をベースにしたフィルターを実装しているサービスにおいては、個々の友達の行動にアクセスするわけにはプライバシー上いかないので、友達と私の関係性を確認しその結果どのようなコンテンツが表示されるかを確認するということは技術的に不可能であると考えられる。
そもそも友達といったところで私が友達に対してどのような感情(例えば心から信用をしているのか、実世界の付き合い上友達になっているだけなのか)を持っているのを、システムが理解するのは困難ではなかろうか(AIが進化すればどうなるかわからないが)。「いいね!」という反応も心の底から同意しているのか、はたまた皮肉を込めてボタンを押しているのか判断するには、用意された6つのボタンでは少なすぎる。
ただ、Googleのように私個人に閉じたフィルターをかけるサービスとFacebookのような友達関係という、ある程度開かれた関係の中で生じるフィルターを提供するサービスをうまく使いこなせば一定の気づきが得られるのではないかと考えられるし、実際そのような経験をしている。例えば、GoogleNewsに流れてくる私好みの記事を、Facebook上で私の友達は批判的な反応をしている、といった場合だ。(そういう意味で友達には多様な意見を持つ人を選ばなければならない)
フィルターバブルの弊害
フィルターバブルは確証バイアスを劇的に強めてしまう。一方(人にとって)新しい考え方をしなければならなかったり、仮定を見直さなければならなかったりする情報処理は苦痛だし難しい。補足:子供のころにはあれほど日常的であったスキーマの調整が、歳をとるにつれて重荷になってくるのだ。
クリック信号(補足:webページ上の複数のリンクの中で、クリックしたものが、その人にとって重要であるとする考え方(20ページ))を基準に情報環境を構築すると、既に持っている世界の概念と衝突するコンテンツより、そのような概念に沿ったコンテンツが優遇されてしまう。フィルターバブルに囲まれると既に知っていることを正しいとするコンテンツの割合が大幅に高くなるのだ。
「グーグル化の見えざる代償ーーWeb・書籍・知識・記憶の変容」にこう書いている。
「学びというのはその定義から自分が知らないこととの遭遇となる。考えもしなかったこととの遭遇、想像もできないこととの遭遇、理解などできないこと、とても楽しめないこととの遭遇となる。何か別のものとの遭遇-そのような異なるものとの遭遇となる。インターネットを検索する人と検索結果との間にGoogleが置こうとしているようなフィルターはそのような根源的な遭遇を作者から隠してしまう。」
フィルタリングが完全に行われた世界は予想外の出来事やつながりという驚きがなく、学びが触発されにくくなる。この他にももう一つ、パーソナライゼーションでダメになる精神的なバランスがある。新しいものを受け入れる心と集中のバランス、創造性の源となるバランスだ。(127ページ)
google検索では「プライベート検索結果を表示しない」という設定があるが、プライベート検索結果の詳細について説明するページは無い
[1] 「◆ スキーマ理論 ◆」熊本大学大学院 社会文化科学研究科 教授システム学専攻, http://www.gsis.kumamoto-u.ac.jp/opencourses/pf/3Block/08/08-2_text.html
四大コミュニケーション・モデル
「コミュニケーション学―その展望と視点-補強版-末田 清子,福田浩子」
に紹介された四つのコミュニケーション理論を図化しました。そのコミュニケーションモデルとは
- 機械論的視点:シャノン・ウィーバーモデル
- 心理学的視点 :Psychological Perspective
- シンボル相互作用論:Symbolic interaction Theory
- システム論的視点
順に見ていきましょう。
PESOモデルで見たCC Landscape
間違えないPESOモデルの理解
PESOモデルの正しい理解
広報会議2017年10月号No.105,19ページでGini Dietrichのblogエントリー「PR Pros Must Embrace the PESO Model 」を参照して、四つのMedia の特性を示したしたの図をあげているが、一部に原典とは大きく違った理解があるので、指摘しておきたい。その相違点は、Shared Mediaが「生活者のSNSやブログ」であると理解しているところである。
広報会議2017年10月号から筆者一部加筆
https://mag.sendenkaigi.com/kouhou/201710/introductory-own-media/011513.php
Gini Dietrich | March 23, 2015 @ SPINSUCKS,
シェアードメディア(Shared Media) の3つの様相
シェアードメディアというメディア理解が提唱されていますが、何を持ってシェアドメディアとするかという議論はあまりされていません。現在提唱されているシェアドメディアの三つの様態をまとめました。
それは、情報の流れ方の違いから見たもの、コンテンツから見たもの、そして情流の場を視点に置いたものです。
PESOモデルの概要と特性
ソーシャルメディアを意識したメディア把握にはForresterモデルがある。これは、メディアをPaid、Earned、Ownedの3つに分類するもので、横山(2010)によってトリプルメディアと邦訳され日本でも普及した概念となっている。ForresterモデルでのEarned Mediaは、広告として露出するのではなく無償で自社を扱ってもらうという従来のPR用語の一つであり、ソーシャルメディアで生成されるWord-Of-Mouse(クチコミ)に進化したと説明され、二つの側面が示されている(Corcoran,2009)。
Bartholomew(2010)は、Forresterモデルを引き合いに出して、そこで定義されているEarned Media(以下Forrester-Earned Mediaと表記)をEarned MediaとShared Mediaに明示的に分けた。そして、新聞などの伝統的メディアやブロガーの積極的な取り組みで成り立つものをEarned Media、SNSのような受動的・反応的な情報からなるものをShared Mediaと分類した。下記に、PESOモデルにおける各メディアの解説を邦訳すると共に、そこから考察される情流の特性を列記する。なお、以下Earned Mediaと表記する場合PESOモデルでのそれを指す。
プラットフォームとメディアを巡る不毛な論争
ケヴィン・ケリーのFlowingを基にしたメディア理解
WIRED創刊編集長ケヴィン・ケリーはあらゆる情報やモノはそれを構成する最小単位まで分解されて、コピーされ、流動化されて再構成される世界の流れをFlowingとなずけ、その段階を4つに分けて示している(ケリー、2016、pp.108)。
- ・固定化/希少:最初は専門的な技で作られる希少なもので高価である。
- ・無料/どこにでもある:大量にコピーされたものはコモディティとなり限りなく無料に近づく。
- ・流動的/共有される:プロダクトは分割(アンバンドル)化され、各要素が流動化し再構成(リミックス)される。
- ・オープン/なっていく:無料化され、分割化された要素を専門性をもたないアマチュアが再構成し、斬新な製品カテゴリーを創り出す。
蹴鞠おじさんになってわかったこと
ヨッピーさんのブログで一躍蹴鞠おじさんの一角を占めることになった私ですが(っつてももう過去の話なんだろうけど、何だったんだ?)おかげさまでツイッターのインプレッションがとんでもないことになっていて(私としてはね)。
「そんなものばかり読んでたら、馬鹿になるよ」という親心について。
プラットフォームを「隠れみの」 DeNA大炎上の本質 、ブロガー 藤代裕之2016/12/8 6:30日本経済新聞電子版
PESOモデルとは何か、それによりメディア戦略はどう変わるのか
PESO modelによるメディアの理解
Gini Dietrichは、blogエントリー「PR Pros Must Embrace the PESO Model[1]」においてメディアを4分類し、それぞれを下記のように定義している。
Paid Media
このケースにおけるペイド・メディアは、おっきくて、すてきなコマーシャルや、ハイクリエイティブな印刷広告のことを指すのではありません。反対に、PR業務に対するペイド・メディアはソーシャルメディア広告や、スポンサードコンテンツ広告やe-mailマーケティングのことを指します。
Earned Media
アーンド・メディアは、パブリシティとかメディアリレーションとして理解されているものです。貴社名を印刷してもらうとか、新聞や専門誌に貴社について書いてもらうことです。それは、お昼のニュースであなたの製品に関しての話題となって目に触れます。これは、PR業界が一般に知ってもらえる、数少ない具体例一つです。
Shared Media
シェア―ドメディアは、ソーシャルメディアとして知られています。それは、とても進化していますが、マーケティングや顧客サービス部門の利用方面へだけ、取り組みが継続されています。まもなく、組織は対内向け・対外向けコミュニケーションの主要情報源としてそれを共有するでしょう。
Owned Media
オウンド・メディアは、またの名をコンテンツとして知られています。それは、貴方自身が所有するものであり、webサイトやブログで展開できるものです。あなたは、メッセージをコントロールするし、貴方のしたいように物語を語ります。
[1] Gini Dietrich | March 23, 2015 @ SPINSUCKS,http://spinsucks.com/communication/pr-pros-must-embrace-the-peso-model/
まわしよみ新聞という遊びかた
googleがジャーナリズムを評価するとすれば。google Trust Project
NewsPicksで、ONA15報告レポートが掲載されている。
https://newspicks.com/news/1203630/body/
第2回目は、「Google Newsのトップが語るジャーナリズムとテクノロジーの共生」と題されている。
そのなかで、リチャード・ギングラス氏は、「Trust Project」(報道機関の倫理方針や記事作成過程などの透明性を高め、メディアの信頼を再構築するプロジェクト)への質問に下のように答えている。
"(Trust Projectは)存在している質の高いジャーナリズムが認識されるにはどうすればいいか、ということです。"