2019年元旦の新聞広告の傾向を読み取る。

元旦付けの新聞広告を眺めると、広告業界の大きな動きが見えてくる。

本年、2019年元旦の中央各紙のサイズ1ページ以上の広告を眺めて、感じたことを述べます。

中央5紙の1頁以上の広告を見て

 銘柄(広告主名)を眺めると、業界ごとに複数のブランドが掲載されるということが出版業を除くとなくなってきているという印象(出版業については後述)。「元旦はどの会社も出す」から「出す会社は出す」という、企業によって広告メディアの選択が変わってきているのではないか。また、「出すなら全紙に出す」という志向性もなくなってきているように思える。例えば、カドカワ、へーベルハウス、など。特徴的なのがそごう・西武の日経だけの出稿は百貨店の主要顧客は日経新聞読者くらいになってきてしまったのかと思わせる(この件も後述)。80年代後半から90年代にかけての就職活動中の親に向けた企業銘柄(一番有名なのは村田製作所)もないのは、読者の超高齢化が影響しているのではないか。旅行関連の「初売り」広告も過去のものになっているようだ。

資生堂の件

 資生堂は、2018年2019年と元旦広告を出稿していないが、同社の企業広告ライブラリで検索した結果では、確かに2018年から、新聞広告のアーカイブは残っていない。2018年から新聞での企業広告は行っていないように見えるが、「2018年4月8日付で、146回目の創立記念日を迎えるにあたり、あらためてこの企業姿勢を社会に伝える広告を、日本国内の全国紙・ブロック紙・県紙など新聞47紙に掲載します。」というリリースがあるので、元旦の定期的な出稿は停止しただけかもしれない。。

資生堂企業広告アーカイブ HTTPS://www.shiseidogroup.jp/corporate-ad/

資生堂2018年創立記念日広告のリリースhttps://www.shiseidogroup.jp/news/detail.html?n=00000000002413

日本経済新聞の別刷りを確認して。

 元旦広告の推移は、別刷りも含めて検討しなければならないが、今回古巣の日本経済新聞の本年元旦別刷りを確認して、私の記憶との比較を試みた。 nikkeiNewYearAd2019.jpg
 手近にある、毎日新聞の元旦別刷りに比較して圧倒的といってよいほど銘柄がそろっている。しかしながら、現役時代の記憶では、情報通信特集では、富士通、IBM,日立、シャープ、SONY、沖、HP、SUN、Microsoft、DELといったところがかつて(10年ほど前)はそろっていたので隔世の感。金融がそろっている(といっても証券会社自体が減ったが)のは当然として、建築系も良くそろっている。
 ただ、東芝、三菱、日立、川重、新日鉄、神戸製鋼といった重工業、三菱、住友、三井などなどの重化学工業の銘柄が見当たらないことは、日本の産業構造はすっかり変わってしまったことを思い知らされる。かといって、百貨店スーパーなど流通の初売り広告もないのは、新聞広告の衰退を物語っているのではないか。

出版社広告の件

 出版社の広告は、特に今年2019年の原稿内容をみて、「即物的」になっていることに気がつく。過去において出版各社の元旦広告は、「出版物が届ける世界」とか、「智へのいざない」といった出版業の社会性を出したクリエイティブが多かったように思う。今年は各社が得意とする書籍を押し出しているというただの商品広告の印象を持つ。出版業の厳しさが現れているのだろうか。くわえて、掲載商品が凡て子供向けの書籍であることは、新聞購読者である親または祖父母に向けて子供に書籍贈与を求めるメッセージとも考えられる。

正月の企業広告で話題になったものを確かめる。

あまり話題にならなかった。「トヨタイムズ」トヨタ自動車

ToyoTimes.jpg
トヨタイズム特設サイト→https://toyotatimes.jp/

 全紙センター見開きカラーで展開した割には、SNSでの拡散が少なかったのがトヨタ自動車の広告である。原稿上は"トヨ「タイムズ」"と読むのか、"トヨ「タイズム」"と読むのか紛らわしいレイアウトになっているが、狙ってデザインしたもののようである。
 グラフは、Twitterのツイート件数をグラフ化したもの(Yahoo!リアルタイム検索)以下同様

ほとんど炎上状態。「わたしは私」(日経)西武・そごう

 西武・そごうは2017年から企業メッセージ「わたしは、私」を展開している。初年度は、樹木希林、2018年は木村卓也、そして2019年は安藤サクラを使った展開。各年のキーメッセージが下である。

  • 2017年「年齢を脱ぐ、冒険を着る」
  • 2018年「正解は、ない。私があるだけ。」
  • 2019年「女の時代、なんていらない?」

そして、今年の広告内容がネット上で炎上している。IisMe.jpgのサムネイル画像
 コピーの文脈は、「男」とか「女」とか一くくりにする考えそのものが人間の本当の自由を阻害するものであり「わたしは私」と考える「私の時代」を求めていこうという、決して新しい提案ではない。個人的には、かつてセゾングループがパルコブランドで展開したような懐かしさを感じたがこれが、「今の若い人たち」には受けなかった、というより拒否された。
 もっぱら、キービジュアルである「パイを投げつけられる女性(モデルは安藤さくら)」が不評をよんだようである。
 わたしは私 そごう・西武 サイト→https://www.sogo-seibu.jp/watashiwa-watashi/

今年も話題提供。「嘘つきは、戦争の始まり」「敵は、嘘」宝島社1月7日掲載

毎年、話題の新聞広告で、多くの賞をとっている宝島社だが、今年も1月7日付け朝日新聞(嘘つきは...)読売新聞と日刊ゲンダイ(敵は...)で反響を呼んでいる。
宝島社企業広告2019→https://tkj.jp/company/ad/2019/

FakeIsnotLie.jpg

総評

 平成30(2018)年版情報通信白書によるとメディア接触行為者率の世代間の差がもっとも大きいのが新聞である。これは、新聞が高齢者を中心としたクラスメディアになったことを示しており、広告主にとっては「ターゲットの絞られた使いやすい広告媒体になった」といえよう。このことが、出版社の元旦広告における子供向け書籍広告に反映されたと見ることができる(正月は祖父母が孫のことを考える時期なのだ)[ⅰ]。
 一方で、全国民に向けて言論を広く伝えていくという新聞社の使命はなくなることはないであろう(個人的希望を含めて)。そのために、"新聞紙"という物理メディアだけでなく、"放送波""書籍""web""電子メール"といった複数の物理メディアを使って、情報を流通していかなければならないし、各社ともその努力を行っている。
 テキストでニュースを得る手段についての総務省調査によれば、年齢が若いほどインターネット経由であり、高齢者ほど新聞からニュースを入手している。その差は、歴然で、20歳代では、7割以上がインターネット経由、新聞は3割を切るのに対して、60歳代では、インターネット経由は4割強、新聞からのニュース入手は9割弱に及ぶ 。そんな調査結果に則れば、新聞社が自社の論説を伝えていくためのメディアポートフォリオを構築するのはたやすいはずだ。事実、広告主はアドテクノロジーを活用してさまざまなメディアを横断した媒体ミックスを行っている。また、そごう・西武の広告に見られるように、ソーシャルメディアの存在によって、日本経済新聞社とその顧客(読者)という閉じた情報空間だけでなく、広くインターネット環境に情報が拡散していく事を織り込むことが、現代的コミュニケーションには求められている。
 そして、言葉の変化の問題がある。インターネットが普及してから、人々の「文字接触数」は飛躍的に増加した[ⅱ] 。同時に、人々は短文ないし省略した文章を消費(これをテキスト・ミニマリズムと呼ぶ)するようになってきているとも指摘されている。常に言葉は時代とともに変化しているといわれるが、今起こっている言葉の変化は、「テキスト・ミニマリズムによる文脈の消滅」といえよう。SNS上で流れる文章はおおむね短い。「いいね!」という文章を送信するのに、ワンクリック分の時間しか必要がない。こういった、最小限まで分断化したコミュニケーションでは、その背景にある文脈はなかなか伝わりにくいのではないだろうか。したがって、そごう・西武のスローガン「わたしは、私」を読んでも「わたしは、私で当たり前でしょ」とその背景を読み取ることは少ない。そして、宝島社の「嘘に慣れるな、嘘を止めろ、今年は、嘘をやっつけろ」という直截的なメッセージが共感を呼ぶ、真実も嘘も絶対的なものは無いにもかかわらず...。
 「広告は時代を映す鏡」という名文があるが、現代は「広告とSNSでの反応」が人々の心を映し出しているのではないか。そういう目線で世の中を見ていきたいと感じたことであった。

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ⅰ平成29年情報通信メディアの利用時間と情報行動に関する調査 報告書(平成30年7月 総務省情報通信政策研究所)
ⅱカリフォルニア大学サンディエゴ校などの大規模な研究, "STUDY: RUMORS OF WRITTEN-WORD DEATH GREATLY EXAGGERATED"2009/12/29,WIRED, HTTPS://WWW.WIRED.COM/2009/12/READING-EXPANDS-STUDY/

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