構造主義の理解のための理論と哲学キーワード

このページは、構造主義に関する文献を読むときに良く出てくる言葉を簡単に説明したものです。ほかにもいろいろとあると思いますが、構造主義を知ったかぶるためのこちらの文章を記述するときに拾った言葉ですので、合わせてお読みいただけると幸いです。

構造主義の背景となる理論とか哲学とか・・・このページ
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ソシュール(1857-1913)の「記号」

日本語

フランス語

英語

シニフィアン(記号表現、能記)

signifiant

signifier

「海」という文字や、「うみ」という音声

シニフィエ(記号内容、所記)

signifié

signified

海のイメージや、海という概念、ないしその意味内容

シニフィアンとは、語のもつ感覚的側面のことである。たとえば、海という言葉に関して言えば、「海」という文字や「うみ」という音声のことである。一方、シニフィエとは、このシニフィアンによって意味されたり表されたりする海のイメージや海という概念ないし意味内容のことである。また、表裏一体となったシニフィアンとシニフィエとの対のことを、「シーニュ」(signe)すなわち「記号」と呼ぶ。

徴候的読解(仏:symptomale unifie、英:Symptomatic reading)

ルイ・アルセチュール(1918-1990)はマルクスの資本論を「読む」という作業を通して、「問いの不在(見えているがゆえに不可視となっているもの)があり、それを適切に見出す読み方」=「徴候的読解」を提示した。しかし、見えているものの向こう側にあるものを読むのはまさに構造主義の方法が必要とされ、テキストの解釈権を党が独占する所に成り立っているマルクス主義とは相容れることはなかった

射影幾何学の体系化

射影幾何学は、遠近法をヒントに登場する。ここでは、視点は一定せず、あちこち動き回る。視点(主体)の差異が無視されることで、対象の〈構造〉が浮かび上がる仕掛けになっている。一人の主体(視点)が自分にこだわって世界を「認識」しようとしている間は現れてこないものだ。射影幾何学がもっと進んで、位相幾何学の段階ともなると、直線も何もなくなるから、図形もムンクとかベーコンの絵みたいにぐちゃぐちゃになり、ピカソの「泣く女」みたいに、正面と横顔と複数の視点からの像を一つの画面に統合してもいいわけだ。

主体

主体(subject)とはもともと「神の下にあるもの」「臣下」という意味あいであった。ところがルネッサンス頃になると、人文主義の影響で、人間もだんだん生意気になり、地上の主人みたいにふるまうようになった。そこで主体と言えば「客体を自由にする主人」といった、積極的・能動的な意味になったのである。

客観

視点とは、この世界を視ることを自覚した、人間の視点だ。「視る主体」の誕生、と言ってもいい。世界は、物体(=客体=客観)の集まりである。それ以外のもの(神や霊魂)は、どこにも見つからない(のではないか)。そして、世界を視るのは、私だ。私は、視る主体(=主観)である。いちおうこの世界の物体ではあるが、特権的な物体、つまり、他の物体を視ることのできる物体である。

実存主義

「人間の本質はあらかじめ決められておらず、実存(現実に存在すること)が先行した存在である。だからこそ、人間は自ら世界を意味づけ、行為を選び取り、自分自身で意味を生み出さなければならない」とジャン=ポール・サルトル(1905-1980)は1945年10月、パリのクラブ・マントナンで行われた講演で提示した。本質はこうだが現実はこうであり、本質優位を積極的に肯定せずに、現在の現実をもってそれをどう解決していくべきなのかを思索的に考えた。本質を積極的に認めない傾向があるため、唯物的もしくは即物的になり、本質がみえなくなってしまうという、極端な思想も生まれる土壌になったり、悲観的な発想にもなりがちという批判もある。

レヴィ=ストロースと代数学

レヴィ・ストロースの構造主義のアイデアは、数学でいう〈構造〉に、大きなヒントをえたものである。

「ニコラ・ブルバキ」と称するこの数学の一派は、とくに〈構造〉の概念を核にして、数学の統一像を描きだそうとする。その一員、アンドレヴェーユが、レヴィ・ストロースの協力者であり、オーストラリアの原住民の結婚のルールを、抽象代数学の群の構造を使ってとき表して(婚姻法則を置換群を用いて定式化した[i])。

これはまた、人間の思考は一直線に進歩していくと考えるのがあまりにも単純であることを示唆している。もしかすると、人間の思考のレパートリーはあらかじめ決まっていて、それを入れかわり立ちかわり、並べ直しているだけなのかもしれない。歴史を知っている文明社会は、ただなにかのはずみで、それをストックしていっただけなのかもしれない。こうレヴィ・ストロースは考察し、それを証明するために、神話こそが人間の思考のレパートリーの宝庫であろう、と見当をつけた。

レヴィ・ストロースと神話

レヴィ・ストロースは、野生の思考(「現代数学を知っているわけじゃない。また、文字や数字のような記号も使わない。」思考)がつむぎだす神話論理を、神話の〈構造〉としてとりだそうとする。〈構造〉と(数学的な)変換とは、裏腹の関係にある。だから、神話に〈構造〉があると考えるのと、神話はつぎつぎ変換されていくものだと考えうる。

ひとつひとつの神話は、互いに変換関係で結ばれている。レヴィ=ストロースが考えたのは、置換(要素を置き換える形の変換)であり、神話の全体は、置換群となる。彼は、ひとつひとつの神話を、細かい構成単位(神話素)からできているものとする。その構成単位がいくつか置換されて、ある神話から次の神話になると考える。この置換は対立する二つの項の間で生じやすい。そして、分析を続けて変換群(置換群)である神話が、どのような変換(置換)によって結ばれているのか具体的に明らかになることを示した[ii]。

主体の否定

レヴィ・ストロースの神話学は、テキストを破壊してしまう無神論の学問である。レヴィ・ストロースの神話学はテキストを字義どうりに読まない。テキストは表層に過ぎなくて、本当の<構造>はその下にかくれているとみる。テキストをずたずたにしていろいろな代数学的操作を施してもかまわない、とする。

キリスト教はテキスト(聖書)が、マルクス主義も『資本論』『共産党宣言』『国と革命』といったテキストの権威を中心に出来上がっている。テキストは神やマルクスからのメッセージであり、人はそこにかかれた神・マルクスが言いたいことを読み取るのが義務であり、その解釈権は教会なり共産党が独占的に保持した。

一旦構造主義の洗礼を受けた後は、テキストより「××を読む」という態度の方が上位となってしまうため、どんな権威あるテキストも成立しなくなる。同じテキストも読みようによってどうとでも読めるし、誰でも(筋さえ通っていれば)自分流に読んで構わないというのだ。構造主義は主体を超えた無意識的・集合的現状が重要だとす主張する。

また、ただ一つの真理(=正しいことがら)に対する視点も構造主義は決定的に違う。

構造主義は真理を"制度"だと考える。制度は人間が作り出すものであるから、時代や文化によって別のものになるはずだ。すまり、唯一の真理はどこにもない。

真理が一つでない事を明らかにしたのが、数学の進歩の「数学の構造化」にある。

構造主義の三段論法は、
・大前提:西欧の知のシステムは数学に代表されるような、真理を目指している。
・小前提:ところが、肝心の数学はただの制度(構造)にすぎなかった
・結論:ゆえにこれを敷衍ふえんすれば西欧の知のシステムもただの制度である。

唯一の真理がないという主張は、ラカン、フーコー、アルチュセールなど他の構造主義者たちにも一貫して流れるテーマである。

これによって、近代ヨーロッパの知の伝統を支配した「主体の形而上学」(人間は自由な主体で、社会はそうした主体の集まりである。すべてはそこから出発する、と信じないと気が済まない)が解体していく。

また、人間社会には自覚できない<構造>があって、時間が経過しても不変であるとか、人間の温かみや主体性を考慮せず、万事機械的に割り切っていくといったイメージは非人間主義と捉えられることもある。構造主義は歴史を否定するついでに、西欧的な意味での「主体」や「人間」を否定するが、それは西欧中心的な視点をやめて人類文化全体に視野を広げようとするものである。構造主義は、西欧近代の腹の中から生まれながら、西欧近代を喰い破る、相対化の思想である。



[i] 河野敬雄「親族の代数構造1)――レヴィ=ストロースが残したもの――」『人間環境学研究 6』広島修道大学, 2008-02-28,pp.115-153

[ii] オイディプス神話の分析表

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