メディア不信の時代。媒体接触の変化とジャーナリストの行く末

日本人のメディア利用状況

日本人のメディア利用状況を調査したものはいくつかあるが、ここでは、総務省情報通信政策所[i]を参照する。

新聞及びニュースサイトなどからテキストでニュースを得る手段について、全年代で見ると、平成28年度発表で調査開始以降初めて、ポータルサイトによるニュース配信の利用率が最も高くなった。29年度発表では、6割以上がインターネット経由、半数強が新聞を利用していることがわかるが、年代によってニュースメディアの利用状況は大きく異なる。

 年齢が若いほどインターネット経由であり、高齢者ほど新聞からニュースを入手している。その差は、歴然で、20歳代では、7割以上がインターネット経由、新聞は3割を切るのに対して、60歳代では、インターネット経由は4割強、新聞からのニュース入手は9割弱に及ぶ。

 インターネット経由のニュース接触を詳しく見ると、もっぱらYahoo!ニュースなどのポータルサイトからのものが多い(全年代で62.3%)が、フィルターバブルなど情報取得の片寄りが懸念されるSNS経由のニュース接触は若年層ほど高く、20歳代で半数を超える。ただ、30歳代:46.9%、40歳代:41.7%と、多くの人がSNS経由でニュースに接触していることがわかる。

まとめるとしたの3項目が言える。

  • 若年層は、会話よりSNSでニュースを知る。
  • 30代くらいまでは、ニュースサイトよりSNSでニュースを手に入れる。
  • 新聞がネットより強いのは60代である。

 今後、新聞接触者は確実に減少していくことが推測されるが、フィルターされたニュース接触が今後増えていくかどうかはこの調査からは判断できない。

日本におけるマスメディアの立ち位置とデジタル時代のジャーナリズムとは

水島治郎(2016)[ii]は「リベラルな民主主義」の二つの立場を指摘している。

① 法の支配、個人的自由の尊重、議会制などを通じた権力抑止を重視する自由主義的立場

②人民の意志の実現、統治者と被治者の一致、直接民主主義の導入などに積極的な「民主主義」的要素を前面に出す立場。

 上は、自由主義社会における民主主義の実現を巡る終わりなき議論そして知られているものである。伝統的なマスメディアは、どちらかというと歴史的に前者の自由主義的な立場を踏襲して、政府から距離をとり権力がやるべきことをやっているか監視することがメディアの「公共性」の基準となったという(林,2017,p.205[v])。そこには、読者からの付託によって人民の意志を総合し、政治に反映をさせていくといった姿勢がどれほどあったものであろうか。

 従来からのマスメディアやジャーナリストたちは集団として、為政者達に直接アクセスする力を持っている。ただ、その力を誰のために使うのか、という思考が薄れてきているのではないだろか。そもそも、日本のマスメディアに、そういった意思があるのかについて、過去にさかのぼって考察する。

 佐幸(2014)は日本の明治期における新聞の歴史を下のように3つの段階を通して理解している[iii]。

  • 「明治維新後の官報の時期」
  • 「大新聞・政論新聞と小新聞とが基本機軸となって百花繚乱し社会的なコミュニケーションを形成している時期」
  • 「大新聞と小新聞との区分それ自体が曖昧になり、小新聞の系譜から発展した中新聞、いわば商業主義的な報道新聞が主流となっていく時期」

 そして、なかでも日本の近代的なジャーナリズムの形成の問題として照準されるのは、商業主義的な報道新聞へと新聞の布置関係がジャーナリズム界のなかで構造的変容する過程であり、その際には日清戦争と日露戦争がひとつの指標として採用されてきたと主張している。

 100年ほど前の日本の状況を考えれば、インターネットはおろか、テレビもラジオもなく、農魚村部には新聞も十分に配達されていなかったし、届いた新聞も地球全体から見れば、きわめて地方の情報のみであった。人々は家族や村の人々からのフィルターのかかった情報から世の中を知っていたわけで、その情報もうわさの類のものも多かったであろう。いわば、地域コミュニティーといったフィルターバブルの中で情報生活を送っていたといえる。下って太平洋戦争時代の日本では新聞は統制化にあり、国政というフィルターのかかった情報摂取で、日本国民は本当の情報に接触することはできなかった。

 翻って、現代のネット空間は参加者の凡て、老若男女、法人・個人、市民・統治者を問わず[メディア]になる空間である。ソーシャルメディアと名づけられた言論空間(その代表がblog)が出現した21世紀の初頭には、インターネットに接続するとかPCを操作する・webサイトを構築するといった、少々技術的な敷居が存在したが、SNSの時代には、表現したいという意思と少々の時間とスマートフォンを持てるだけの財力があれば、文字通り「あなたがメディア[iv]」になれるのである。

 さらに、幸か不幸か技術の進化によって、個人の行動と他との関係性を、サービス提供者側で把握・分析・加工することができるようになった。その結果、web環境下にあるすべてのユーザーとコンテンツを一定のクラスタに分類することができるようになり、似通った志向を持ったグループに対して、受け入れられやすい言説を「あてていく」事ができるようになった。さらにSNSのShare(いいね!)機能がグループ内の個々のつながりを強固にする。「フィルターバブル」の問題は「一人ひとりが風船の中に入っている」ということでなく、一定のグループが固い殻の中に閉じこもって他のグループから隔離されてしまうとイメージしたほうがよい。

 代議制と直接民主制が相互補完的に機能するのと同じく、メディアの空間(コンサバメディア)とネット空間(のなかのソーシャルメディア)も相互に補完しあって「リベラルな民主主義」を完成させるよう相互支援することが理想であると林(2017)は主張する[v]が、日本のマスメディアに組織として政論を戦わせる機能は、当の昔になくなっていると理解したほうが現実的なのではないだろうか。

 SNSを見渡せば、どの程度の国民がどういった言説を支持しているのかをデータをもとに知ることはたやすい。サービス提供者と同様に、市民のクラスタを把握し、それぞれのクラスタがどういった政治的メッセージを発信しているのかを汲み取り、ジャーナリストとしてのスタンスに照らして正しいと思うアジェンダセッティングをおこない所属するメディアやソーシャルメディアを通じて広く拡散し、市民クラスタの代弁者として、為政者にぶつけるといった行動が、マスメディアで碌をはむジャーナリスト達にいまさらながら、求められているのではないだろうか。



[i]総務省情報通信政策研究所「平成29年情報通信メディアの利用時間と情報行動に関する調査 報告書」2018, http://www.soumu.go.jp/menu_news/s-news/01iicp01_02000073.html

[ii]水島 治郎「ポピュリズムとは何か―民主主義の敵か、改革の希望か」中公新書, 中央公論新社,2016

[iii]長谷川如是閑のジャーナリズム論と界の構造®-メディアとジャーナリズムが交叉する場所-,佐幸信介:Journalism & Media No.7 , 2014,p.159-182

[iv] ダンギルモア「あなたがメディア!: ソーシャル新時代の情報術」朝日新聞出版, 2011

[v] 林 香里「メディア不信 -何が問われているのか-」岩波書店,2017

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