「そんなものばかり読んでたら、馬鹿になるよ」という親心について。

プラットフォームを「隠れみの」 DeNA大炎上の本質 、ブロガー 藤代裕之2016/12/8 6:30日本経済新聞電子版

記事本文にある「メディアは情報の内容に責任を持つ発信者、プラットフォームは人びとの発信を助ける場所の提供者」という定義は重要だと思う。

「内容に責任を持たないメディア、人々の発信を助けない(運営者の意向に沿わない発信は認めない)プラットフォーム」という藤代氏の定義に当てはまらないものが、DeNAパレットという具体的な形で、それも株式公開企業の事業として提示された。


そのようなメディア(広義のもの:情流機構とでも言いますか。)は昔からあったわけで。


ブラックジャーナリズムとか、イエロージャーナリズムなんて言葉もあるし、明治初期の日本の新聞界では投書家からのコンテンツが重要であったとは言え、各新聞毎に主筆はいたわけで、何でもかんでも投稿を掲載していたわけではあるまい。要はメディアリテラシの問題なのである。
「DeNAのサイトに載ってる文章は、嘘か広告だからね、その程度に受け取らなきゃ」
とか
「朝日新聞が、こんな不確かなことを書いちゃ遺憾遺憾」とか(これあくまで想定例です)


メディアの信頼性(不信性)はメディアからの働きだけで構築されるのではなく、オーディエンスと共に作っていくものなんだと思うのです。


信頼性のないメディアは絶対許さん、という向きの方はご自由にどうぞ、ですが、どうでもいいような芸能人のゲス不倫とかでお金を回している娯楽メディアの存在を否定するものではありません。


どの程度の信頼性がそのメディアにあるのか、発行者と受容者との間に共通理解があることが双方にとって幸せじゃないかと思うのです。守安社長の「認識の甘さ」ってその辺りにも根ざしているのかもしれない。
メディアリテラシって、やっぱり年長者から年少者に受け継がれなければならないと思うのです。なぜなら、一定のリテラシを前提としてその時代のメディアは成り立っていると思うからです。


ところが、インタネットメディアって、多くの年長者はちゃんとコミット出来ていない(いまだに)。商業メディアの高齢者は「おれ、仕事的には関係ないもんね、もうすぐ定年だし」といって「ネットの事は若い人が」なんて丸投げする。
年少の方も、そういう大方の年長者のスタンスを長年見飽きてるから、少し指導的な発言をしようものなら、ハゲとか蹴鞠とか言ってディスコミュニケーションに持ち込もうとする。ま、若者は往々にしてそうであるし、それが若者であるあかしの卵焼き。


ただ、藤代氏を含めて、コンサバなメディアで基礎勉強をし、インターネットメディアの初期から20年余り関わり続けている人って相当いるわけで、そういう人たちはインターネット時代のメディア環境をよりよくしていきたいと能動的に動いている。そういう人たちがネット非関与な人との橋渡しをしようとすら思っている。


ネットメディアの中枢を担う人たちも、40代から50代に差し掛かり、そろそろ親心のわかる年になってきていると思う。世代を超えて、これからのメディアの事を考えてもいいんじゃないかな。

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