まわしよみ新聞という遊びかた

「まわしよみ新聞」という、大変面白い新聞の読み方がある。2年ほど前から、何度かやってもみたりし、首謀者(?)の陸奥某氏のFBでの動向や、連続100回をはるかに超えるコーディネーター某嬢の書き込みをウォッチしている。 で、今や日本全国(海外でもやっているらしい)新聞社方面で大ブレイク中だ。

だが、 この、「まわしよみ新聞」が新聞社の経営に利するものになるのか、と思うと、どうにも難しそうなのである。 たしかに、見知らぬ人とか、常連さんとかといっしょに新聞紙を前に、はさみをもって、わいわいしながら一つのものを作り上げていくことは大変楽しい。 同じ記事でも、やはり人によって見え方が違っていて、それを確認することは、人とのつながりの中で生きているという実感を感じるほどの喜びを得ることができる。少しオーバーだけど。
でも、じゃあ、それが新聞の定期購読へのインセンティブになるかというと、多分、ならない。
NIE方面の方に聞いたことがある。「かつては、学校での新聞を読む授業に持たせるために新聞契約をする親がいたけど、今や新聞は取っていませんので学校で用意してくださいとあたりまえに言う」と。
「まわしよみ新聞」の会場では多くの場合、新聞(じゃない場合もあるけど)が用意されている。 用意された新聞を切った貼ったしながら、それはそれは盛り上がるのだが、若い参加者にむけて「自宅で新聞取ってますか?」と質問すると、ほとんどの人は「いいえ」だ。
では、新聞でないと「まわしよみ新聞」はできないものだろうか?答えは「ノー」、出来ない。
先日、フリーペーパーとローカル情報誌を素材にした、「まわしよみ新聞」を体験した。 結果的にどうなるかというと、カラーのビジュアルベースのカラフルな新聞が出来上がり、新聞紙を基にしたものとは全く別のものであった(それはそれで、平面芸術としては面白いのだけれど)。 残念ながら、新聞記事から作り上げられた"厚みのある気づき"は、そこになかった。
新聞紙を題材にした「まわしよみ新聞」は、新聞に掲載されている記事の深みがなければ、成り立たないと言っても構わないと思う。 そして、新聞紙を題材にした「まわしよみ新聞」を経験した人は、新聞に掲載されている記事が、どれほどの深みを持っているかを知ってもらいたいし、だからこそ、毎日、新聞社の発信する記事に触れることに価値がある、と知ってほしい。

対価を払うという話は、まず新聞記事に価値を認めることから始まる。

そして、「まわしよみ新聞」によって、新聞記事に触れてもらえる機会を手に入れた新聞社は、全力をもって、記事の価値についてアピールすることが、自らの存在、だけでなく、日本の言論空間を維持するために求められているのだと、心してほしいと期待している。

まともな言説が書けるのは新聞社の記者の中にしかいないのだ

まわしよみ新聞

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