identityは日本人に向いていないという話。

ブランディングは、ブランドを自ら作っていくことである。
理想としてのbland identity(自己が持つもの)と、現実としてのbland image(他者が持つもの)の乖離を埋めていく行為がblandingである。
ただ、日本人はidentityという概念を持つことが弱い(ひょっとして、東洋人には無い概念かもしれない)と小林哲氏は話された。

そこで、私は「悪いようにはしないから、黙って俺について来い」という言葉を思い起こした。
こういう形でのコミュニケーションは日本では普通なのだが、欧米には成り立つのだろうか、と。そして瞬時に、植木等が歌った「無責任一代男(作詞青島幸男)」の歌詞が想起された。

「おれは、この世で一番、無責任と・い・わ・れ・た・男」(中黒は玉川追記)
http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND41392/index.html

この期に及んでも他人からの評価が自らのidentityなのである。青島は天才だ。

そのことを、小林氏に伝えたら、苦笑されながら「ただ、欧米人は、relationには弱い」と言う。日本人(彼に言わせると東洋人)は関係性の中に自分を見出すことは当たり前。アングロサクソンは自分を軸に外界を把握する(ようだ)。

facebookが、彼ら(アングロサクソン)にとって目新しいのは、「関係性の見える化」であって、関係性の中に生きる日本人にとってfacebookの「identityの表出義務」がウザイのだとも感じた。

だからといって東洋人と西洋人が、どこまで行っても平行線なのではなく、視座が違っても鏡面対照的に同じ線路に乗っていくのだろうなぁということを感じたわけで。それが、グローバルということなんだろうと思うのですがどうでしょう。
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